林さんのお姉さんと結婚しようとした。つまり、しなかったってことだよね。振られたのかな。でもそれなら林さんが部長を嫌う理由が分からない。
「レッスンを時々見ている綺麗な女性がいてね。ずっと気になっていたんだ。その彼女を大学で見た時はビックリした。思わず駆け寄って声を掛けたよ。時々、フェンスの向こう側からレッスンを見学してるよねって。もしかして、俺のことを見てたの?冗談で言ったら、笑って、妹を見てたんだって返されて」
「その人が、林さんのお姉さんなんですか」
「そう」
「じゃあ、林さんもテニスクラブに?」
「俺の担当していたジュニアクラスにね」
「珈琲入れましょうか。インスタントですけど」
悪いね、と言う土方さんに背を向け、棚からマグカップを一つ手にする。スプーン二杯分の粉を入れ、やかんで沸かしたお湯を注ぎ、土方さんの前へ置いた。
「お姉さんはテニスされていなかったんですか」
「足が少し悪くてね。と言っても、生活に支障のない程度だよ。優しくて温和で、綺麗で、俺には勿体ないくらいの人だった。大学卒業したら結婚しようって約束して、お互いの両親にも承諾もらって」
「どうして別れたんですか」
部長は黙り込んでしまった。辛そうな表情を見て、マズイこと聞いたかもと、ちょっと後悔。
暫く沈黙が続いた後、重い口が開き。
「亡くなったんだ」
消え入りそうな声で話す土方さんの肩が。
「それも、俺のせいで」
微かに震えていた。
こんな時、何て言葉を掛けるべきか、悩んでいると。
カラッ、ガラス戸の開く音にハッとした。
入り口で立っているのは。
「ユ、ユキ君。な、何で?」
「それはこっちのセリフだ。何で、こんな時間に土方さんがいるんだよ」