夜九時過ぎ、店のガラス戸がカラリと開いた。申し訳なさそうに顔をのぞかせる土方さんに「お腹空いてません?焼きそばご馳走しますよ」と声を掛け、入ってもらった。
カウンター席へ着いた土方さんは、ぐるりと店内を見回し「へぇ」と一言。どういう意味の「へぇ」なのか。嬉しそうな顔をしていたので、悪い意味ではないのだろう。
焼きそばを炒める私の手元を興味深そうに眺める土方さん。
「手際がいいな」
褒められると嬉しい。
「トンちゃんダブルです。どうぞ」
サービスに瓶ビールもつけちゃう。
「いいのか?後で高い請求書よこすつもりじゃ」
「まさか。お代はいりません。お給料ちょっとだけ上げてくれたら、それで」
「分かった、減給しておくよ」
「ええっ」
「冗談だ。ちゃんと金は払うよ」
冗談を言える人だったんだ。
「ごちそうさん、お世辞抜きで美味かったよ」
「ありがとうございます」
部長は財布から千円札を二枚抜いて、カウンターへ置いた。お金はいらないと断ると「部下に奢られる訳にはいかない」と言われ、お釣を渡すことにした。
「そういや歓迎会の席で、専業主婦になりたいとか言ってたけど、店は継がないつもりなのか」
「よく覚えてますね」
「こんなに美味い焼きそば作れるのに、もったいないな」
「専業主婦は私の夢なので」
「それでユキを選んだのか」
「は?」
「結婚相手には申し分ないもんな」
「そんな理由で選んだりしません。そりゃ、専業主婦は夢だけど、必要なら共働きします。そう言う、土方さんは、どうなんですか」
「俺?」
「前に、結婚は出来ないだろうなって言ってましたよね」
途端に土方さんの表情が硬くなり。
「・・・・しようとしたことは、あるけどな」
ため息をつく。
「会社の人と?」
もしかして、林さんとですか?そんなことを思いながら聞いたのに、返ってきた言葉は。
「いや、林の・・・姉さん」
林さんのお姉さん?